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井上富雄

tomio inoue

Photo / Mihoko Ishiguro

Interview / Mayu Motoike

'89年の解散ライヴの話から遡り、blue tonic活動期/結成時まで想いを蘇らせ。20代だったからこそ出来たこと、歳を重ねた仲間との再会と再始動、そして四半世紀の間に変化した自分自身。50代の今だからこそ語れる「井上富雄クロニクル」。

 

01

■26年前の4月29日のこと、覚えていらっしゃいますか?

覚えてるねえ…。有終の美で飾ろうって思ってたよ。

 

■まさに有終の美でした。

でもさ、あとで考えたら“あれくらい出来るんだったら、前からちゃんとやっとけば良かったんじゃないのか?”っていう(笑)。僕は強い人間じゃないんでね。ふだんは怠けるんですよ、先延ばしにしちゃうことも多い。ただ、あのときだけは違った。

 

■なにが違わせたのでしょう。

自分が始めたバンドの最後だし、長いライヴをすると決めていたし。だから演奏だけじゃなく、体造りとかも徹底した。ジョギングをしたり持久力をつけたり、すべて本気で臨んだよ。今になると、当たり前のことって判るんだけどね。blue tonicを解散してここまで、一流の人と沢山やってきたでしょう? フロントに立つ人は、ほんとにストイックなんだよ。

 

■井上さんにとってフロントマンというのは、どんな位置づけだったのでしょう? 以前「ルースターズには大江さんという圧倒的なフロントマンがいた、blue tonicはそれとは違って横並びだった」と、おっしゃっていました。

そうそう、関係性はね。でも若かったし、エゴは強かったよ。自分がイニシアチブを取れるバンドをしたいと思って始めたわけだし。けどまあ、フロントマンというより、リーダーって感じだったのかな。

 

■すべてイニシアチブを取れるバンドは、どうでしたか?

ありえないほど大変だった(笑)。曲もぜんぶ書くし、音楽も新しいことばかりやろうとしてたし。

 

■楽器も違いましたもんね、最初はトロンボーン。

ナメてんのか、って話だよね(笑)。無謀も無謀(笑)。

 

■でも、意気込みはすごかった。

一度デビューもしてるしね。ましてや、登り調子のルースターズをスパっと辞めたわけだから。ルースターズは…実際は嫌いな音楽ではなかったけど。辞めてまで始めるのなら、同じようなことしてたら意味無いじゃない?

 

■そうですね。一方で、井上さんがいたからルースターズは「ニュールンベルグ」を作れたと思います。イニシアチブという意味では大きくなった予感も…。

そう、僕がいたから出来たってのはあると思う。そこで、自分を出す面白さに目覚めていったのかな。83年…84年? やめてすぐ、blue tonicを始めたからね。

 

 

02

■84年にblue tonic & the garden、85年に現在の四人blue tonicの1stライヴがそれぞれありました。

うんうん、急いでたねー(笑)。

 

■デビュー後も、急いでいるようでした(笑)。

リリースでしょ? いま思うと、なんでblue tonicはあんなに急いでリリースしたんだろう。

 

■87年に「blue tonic」「Moods for Modern」「TAKE」にコンピ盤。88年に「GUTS FOR LOVE」、89年春には解散です…。

変な話、レコーディング・スケジュールがどんどん決まってたんだよ。それこそ、レコーディング中に徹夜で詞を書いて翌日に歌入れ…みたいな。昨日の朝まで必死こいて書いてたのを歌うんだよ? あと“昨日聴いたレコードがカッコよかったから、こんなの作ってみた”って、スタジオに持ってったりするのよ(笑)。曲を練る間もなかったから、みんなもあたふたしてたと思うよ。判んないけど。

 

■それで、あのクオリティ。

クオリティあったかなあ。欲目でそう見てもらえるなら嬉しいですけどね。

 

■もっと欲目で言うなら、blue tonicの曲は、聴く歳に応じて詞が違って響いてきます。音も、改めてヘッドホンで聴いてコード進行の妙に気づきメモを取ったり。今でも面白いです。

そういうコードとかは当時は判ってなかったし、狙ってたわけでもなくて。多分みんな感覚だけでやってたから、いま聴くと“この音、間違ってんじゃん”ての、いっぱいあるんだよ。それが…でも、テンションつけた高度なテクニックだったりするような(笑)。みんなリスナーとしては耳が肥えてたのかな? 当時はデモテープも作ってなかったから。“こういうの”ってスタジオでギター弾いたのを、あれにしてくれてた。

 

■そう思うと、素晴らしい四人が揃っていたわけですね。

ある意味そうだったんだね。でも、音楽の種類としては難しかったから。ロックンロールとか判りやすい音楽じゃなかったから。演奏的にはキツかったよ。

 

■ホーンなどが入った音源を、ライヴでは四人の形にし直す過程もあったわけですしね。それは、前回2月19日の再始動ライヴも同じくだったかもしれませんが。

ライヴは楽しいよ。さっきも言ったようにレコーディングは急ぎまくってたけど、ライヴでは、そのときの旬のグルーヴを出せるわけだから。同じことを演ってると飽きるから、ライヴの度に考えるのは苦痛じゃなく楽しいことですよ。

 

 

03

■曲はどんどん出来る、ライヴは楽しい。それでも終わりを迎えました。

うん、ギリギリのところでやってたんだろうね。ちょっと言葉は悪いけど、貧すれば鈍する…って、実際あると思う。そんなに売れたわけでもないから、生活にもかかわってくる。あと、blue tonicをやってる中でも音楽的指向は変わっていって。限界を感じたんだろうね。そのときの気持ちには戻れないけど、うん、一度辞めた方がいいんじゃないかって考えた。

 

■率直な言葉、今なら判る気がします。

それにね、あそこで解散したから今があると思うんだよ。2~3年あのペースでやって消耗してたら、もう誰も音楽やってないかもしれないよ(笑)。

 

■たしかに、解散直後からみなさん引っ張りだこでした。一部では、渋谷系の元祖的な言われ方もして。

ミュージシャンとしてのキャリアは、みんな、あそこから始まったでしょう? 俺はblue tonicを渋谷系と思ったことはないし、当時はそんな言葉もなかったけど。でもバンドブーム全盛だったときに、ちょっと違うことをやってて。その後、渋谷系って呼ばれる音楽がmaj7な音を使ったり、モチーフが黒人音楽だったりファンクの雰囲気もあったから。そこが近いと思われたのかな。

 

■自然と、時代がblue tonicぽい音を求めるようになっていた…?

そこまで大袈裟なことは言えないけど(笑)、でも、オリジナルラブが渋谷系の最初のようなものだよね? だとすれば、その効力は僕と木原にあったと思う。僕らが入って、ああなった音楽だったから。自分もベース・プレイでなら、思ったことが表現できるというのがあったのね。blue tonicでは出せなかった世界観を、オリジナルラブのベースとして出せた。もしかしたら田島の本意ではなかったかもしれないけど、ずっと中にはいって一緒に作ってたわけだから。

04

■2012年12月に「blue tonicの曲も演りたくなって」と、元尚さんを誘ってBarrier Gatesを始められました。そのときに、いずれblue tonicも…という気持ちはあったのですか?

無いかな。まず、自分の音楽を披露する場が欲しかった。blue tonicの曲はちょこちょこ演ってたし、そういうモードではあったと思うけど。

 

■ルースターズとblue tonic。自分のバンドをしていた期間より、はるかに長い年月を、ベースプレイヤーとして送っていらした訳ですものね。

ですね。そりゃあ、自分が曲を作って歌って家族を養っていけるなら、そうしたいですよ。でも、生きるためにはベースを弾いていかないと。ベースが好きだったし音楽も好きだったし一流の人と演るのは楽しかったから、すごくラッキーで充実してるんだよ? でも、それと自分がフロントマンのバンドとは根本的に違うよね。人の曲を演奏することと、自分の作品作りは全く別だね。

 

■そうですよね。

あと、blue tonicのメンバーは、なんとなくだけど繋がってるんだよ。四人で集まることは無かったけど、誰かと一緒のステージに出ることはあったし。それと、元尚がお店をはじめたでしょ。ハブ? そんな感じになってきた。

 

ハブBAR。

うんうん。“昨日だれが来たよ”とか、みんなの近況を聞いたりすることが増えて。“blue tonicをやってもいいかもね”みたいな雰囲気は、作られてたかもね。そんな頃に、原島くんが「そろそろblue tonicいいんじゃない? 12月にGARDEN押さえてるよ」って声をかけてくれて。迷ってるときに、マネージャーだったトビーが倒れてさ。“今やらなきゃか”って。でも冷牟田ベース弾けるんかね? 俺ギター弾いて歌えるのか? って(笑)。

 

■それが上手くいったんだからスゴいです。

2013年のは上手くいったんかな(笑)。でもまあ、みんな“せっかくだし、ちょっと続ける?”みたいになって、こないだの2月のライブは手応えがあって。“曲も思い出してきたし、アレンジも変わってきていい感じじゃん”って。

 

■雑な言い方ですが、学業に専念する傍らでの最高の部活…のような?

まあね。ただ、この歳になったら本業っていうのは無いかもね。何か一つに賭けすぎてしまうと、他が見えなくなって音楽人生が終わるかもしれないじゃない。それぞれの仕事を守りつつだよね。あ、だからってblue tonicに消極的なわけじゃないよ? もちろん。昔こういうバンドをやってたのは事実で、今も四人が現役のミュージシャンとして残ってる。それで集まれるのは恵まれてるよね。誰か音楽から離れた人を引き戻しての再結成でもないし、50歳を過ぎてフラットで、楽しめて。最高のスタンスなんじゃないのかな。

 

■本当に!

人間的にも音楽キャリアの中でも、いい位置にきたんじゃないかな? 今さら、細かい音楽性がどうとか言う人もいないしね。昔なら許容できなかったことも、50歳を過ぎたらOKになるんだよ。なんか“俺は巨乳な女しかダメだ”って言ってた奴も、痩せた子を好きになれたりするじゃない(笑)。

 

■そ、そ、そういう…?

ストライクゾーンがどんどん広がっていくわけよ(笑)。え、例えが悪い?

 

■いえ、すっごく判りやすいです!

若い頃って、女性のタイプとかも狭いもんなんだよ。

 

どういう方がタイプだったんですか? 井上さん、こんな質問されたこと無いでしょう(笑)。

無いよ(笑)。ぜんぜんぜんぜん動揺するわ、女性に例えた僕が悪かったです。音楽で例えりゃいいんだよな。若い頃は「あんなギター聴けねえ」って言ってたのが、色んな音楽を経験してきて「それもアリだね」 「この曲に合うかもね」って言えるようになったり。それは僕だけじゃなく、他の三人もそうなってるのを感じるよね。

 

05

■では、目前に控えた4月29日につながることを聞かせてください。今年の2月のライヴでは、2013年にやったレパートリーから代表曲含めばっさり6~7曲をやめ、新しく6~7曲増やして。能動的、且つ“今”の四人の音を出そうとしているのを感じました。

blue tonicって、そうしないとダメでしょ。そういうバンドでしょう?

 

■いつも新しくしていく。

それは絶対だね、みんな意地もあるし。

 

では4月は、どんな音を聴けるんでしょう…!

あ。あんま期待しないほうがいいよ(笑)。

 

■……は?

2月は、四人でどんなことが出来るんだろうって模索したわけよ。今回は、新しい試みというよりは、純度を高めるかも。ホーンも入るし。そう、昔の曲はブラスありきで、シンセでラッパを入れてたりしたじゃない?

 

■木原さんは、今それをしたくないとおっしゃっていましたね。

龍太郎はそうだよね、今さら。だからこそ、アレンジしがいがあったわけじゃない。四人で、音圧があるバンドっぽく演るとか。

 

■先日、2月19日のライヴで演ったなかで、最も今のblue tonicらしかったのが「Open your eyes」だとおっしゃっていましたが、まさにですね。

でしょう? blue tonicには無かったようなバンドサウンドになった。あれ、ぜんぜん関係ないリフを思いついて、それが俺の中ですごく来て。“これ、「Open your eyes」のイントロにいい!”って思ったのよ。

 

■イントロでは、何の曲か判りませんでした。

うんうん。つかね、当時あの曲を作ったときはアレンジャーがついたんだよね。「TAKE」というアルバム一枚。さっきも言ったように、俺は徹夜でパンパンだったからさ。お任せにした部分も大きかった。もちろん80年代だったから、シンセでブラスも当時はアリだったよ? でも今は無理じゃない。あのアルバムは見直したかったから、四人のバンド体制で取り組む一つのポイントかなと思った。

 

■曲で言うと、ほんとに素晴らしい作品ばかりだと思います。詞も含め。

だよね? 徹夜しただけあって、俺も自分の歌詞の中では好きな方。だからリアレンジして焼き直すというか、バンドの音にしたかったんだよね。単純に楽曲として取り出したら、俺の中では一番いい時期だったかもって思うのよ。

 

■「Open your eyes」「Out of the blue」、普遍的な名曲です!

(笑)。

 

■本気ですよ(笑)。「TAKE」期に限らず、初期の「Do it yourself」、後期の「Paradise」など、人生を歩く足下や訪れて欲しい未来を照らしだす曲の眩しさに圧倒されます。特にラブソングじゃない曲。blue tonicはアレンジの妙やお洒落感を云々されがちでしたが、まず曲がいいですよ。

ありがと嬉しいよ。もちろん、そういうつもりで書いてたからね。……そうだねえ、あれは20代じゃないと書けなかった歌なんだろうなあ、今はもう無理だね。無理やりにでも書いておいて良かったなって、本当に思ってるよ。20代ってさ、頭でっかちだけど一番真剣に考えて生きてるでしょう? 大人っぽいというか。

 

■大人になろうとしたり、まだ、諦めることを知らなかったり。

うん、溢れるものがあったね。作曲に関しては、作る術を知ったし、フォーマットもたくさん持ってるから今の方がいいと思う。でも歌詞はほんと、あの頃に書いてて良かったよ。

 

06

■では最後に。今後のblue tonicについて聞かせてください。

ライヴは演っていくよ。でも、当時のような活動はなかなか難しいよね。僕らバックに誰もいないんだよ、レコード会社も事務所すら。昔のマネージャーもそうだし、いま手伝ってくれてる人達はみんな好意でやってくれてるじゃない? だから、簡単にレコーディングできる状況ではないっていうのが正直なところかな。

 

■なるほど。個人的には、まず続けてくださることを願っていました。

あはは、そこは大丈夫。誰も今さら解散するパワーはないよ(笑)。みんな50代だし。

 

■今日、50代という言葉がたくさん出てきている気がします。

ああそうかもね、実際に変わってきたのを感じるから。なったら判るよ(笑)。自分の総括とか、否が応でも考えるよね。人間も穏やかになるし、さっきは冗談で言ったけどストライクゾーン…大抵のものを許容できるようになるし。

 

■そうして続けていく中で、風向きによってはレコーディングも…という?

みんな、出せるものなら出したいと思ってるよ。スタジオに入れるなら入りたい。だから頑張ってはいくんだよ。この位のスタンスでやって、ひょっとしてお客さんが増えたりして“なんかいいんじゃない?”って誰かが思ってくれて、“うちで出しませんか?”って言ってくれたら。それは嬉しいよね。けどまあ俺自身が、blue tonicのことになると、アレンジ考えてギターの練習するのでいっぱいいっぱいだから(笑)。

 

■こちらも、大人のスタンスで待ちますね。

恋愛と一緒で、急激に盛りあがると尻すぼみするんですよ。だから、再結成だー! わー! とか盛り上がらない代わりに、blue tonicは淡々としぶといですよ。だてにみんな、音楽業界で生き残ってきてないから。まあ僕らもお客さんも、止まらずにいきましょうよ。

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